誰が世の中を発展させたのか

 僕の祖父の言葉で「学問は道楽に咲いたあだ花」というのがある。学問は日々の収入を得るためにやって発展してきたわけではない。明らかに資産家や生活に追われない修道士、その他、お金がもらえなくても作家活動をせざるを得なかった芸術家などによって発展してきたわけであって、ジョブとして学問を行えるようになったのはここ最近のこと。工業の発展と時を同じくしているのではないかと思う。ノーベル以前の学者が収入のために学問を研鑽したとは到底考えにくい。
 だから、以前からここにも書いているように、文明は生活のために働かなくていい人が発展させて、文化は生活のために働いている人が発展させたものだと思う。
 つまり、僕の考えでは格差こそが文明の原動力だったわけ。過去の奴隷制度のプラスを表現する人の背後にはこうした観点が確実に存在する。まぁ、僕にしてみても現代的センスで過去を裁くのはどうかと思うしね。
 格差を嫌う人は、世界文化遺産を肯定してはならないと思うね。あれこそが格差の利点の象徴だからね。
 にしても、21世紀になった界隈から世界遺産を認定し始めるあたり、この文明がそろそろ終わるための総括をしている気がしてならない。観光スポットとしては良いと思うけれど、その哲学は前世紀的な進化観に従ったままごとに過ぎないように感じる。あと、バグダッド博物館もアメリカに蹂躙されなきゃ確実に世界文化遺産になったものだと思うね。