チベットチベット

 NGOのボランティア交流会で鑑賞会をやった。監督には感想を送るということであったので、僕はこのブログに書いておく。

 日本の被占領認識については、常々言っていることであるし、はてなキーワードを作ったのは僕なので、監督には信じられないことかもしれないが、正直な話、民族政府を持たない民族の悲しみは共有しているつもりだ。来ていた人に言われたのは「日本人は日本語しか話せなくても就職できるが、チベット人は中国語が話せないと就職すら出来ない」とのことだったが、GHQによる昭和23年の日本語改訂以降、僕らが話しているのはすでに日本語ではないし、その流れに抵抗しようとした日本語変換プログラム丸谷君などの動きを行うか、あるいは丸谷君を使っていた人がどれだけの政治的圧力を受けたのかを調べてみれば、そんなことはハッキリしている。端的には、旧漢字の廃絶・省略、送りすぎの送りがな、つまずくが本則化している現状などを見れば、明らかであろう。
 もうひとつ、以前、このブログでも取り上げたように、北京あたりの勤務だった日本の外交官が任期の最後にチベットに行き、そこのホテルで下層労働に従事しているチベット人が「中国化して良かった」というのを聞いて、「やっぱりそーだろ?」と書いていたエントリが日本人に「バカじゃねーの?」と大概叩かれていたが、そのなかに「日本のここ60年だって同じじゃね?なにもわかってないよね」というコメントはひとつもなかった。
 また、僕は民族主義者の自由主義者だけれど、こうした現状に敏感に反応し、棄国を考えている。

 こうした現実を踏まえると、韓国には日本よりもはるかにしっかりした民族政府がある(市民革命を経ている)のに、なぜ第一世代は戦争が終わったときに半島に帰らなかったのかが知りたい。素直に知りたい。経済的理由であるならば、日本に住み続けることのマイナスとの天秤であったはずだ。僕だって、海外に出るとすればそうした損益の天秤の上に判断があるのは当然だ。もちろん、民族の誇りや祖国への望郷の念は尊重する。これも僕と同じだから。しかし、今から戻ったって差別されるんだよね。それも知ってる。また、第2世代以降は帰れないのだから、この疑問は当たらない。

 なんか他にもあった気がしたが忘れた。

 なんにせよ、帰る場所がない亡命チベット人と、帰る場所がある在日韓国人(一世)を重ねるのは厳しいものがある気がするな。