正確には分析でわかったことじゃないんだけど

 あと、27日特殊整体のとき、駅で見送る母親が僕の病気を認めていないような発言をして、実は28日午後にかけて弱い鬱になった。気力がないっていうか。「だって病気じゃないって言ってたよ」と言われたので、「あ〜、やっぱりわかってくれてないんだ」と思った。恥ずかしい話、この歳でも他者承認なんですよ。特に親の。
 親に「病気」を認めてもらうことがなんでこんなにうれしいのか、それで楽になれたのか、2日まで良くわかっていなかったんだけど「僕が病気だとわかったらもう一回捨てられると思っていたから」なんだね。だから、母親が「病気なら病気と診断してもらえばいいじゃないか」と言っても、「ちゃんとした医者は少ないから」と及び腰だったわけ。どっちに転んでも良い結果が生まれるとは考えにくかったので。今回にしても「親父が信頼している医者がそう言うから」というのは相当に大きい要素のはず。山口実が言っても、信じやしないだろ。それが奥地圭子でも。
 で、「捨てられなかった」というのは非常に大きいわけ。「昨今の生活原動力になっているかもしれない」という恥ずかし目の現実を否定できない。
 で、28日に鬱から抜けたのは、母親が「悪い言い方したかなぁ」と電話してきたから。この母親が的を外さなかったのはたぶん、生まれて初めてだと思う。誰に言われたわけでもないのに、この電話はうれしかったね。恥ずかしいけれど、現実は現実として受け入れることにする。母親も喜んでいた。お互い、このぐらいの傷の邂逅になると、涙ながらなんですよ。このときの電話で初めて、直接「お金は援助できるから」と言われた。これまでは家内を通してだったので。
 これを書きながら、親が生きていて良かったと、久しぶりに思えた。10年前、親父が死んでいればどんなにか僕は楽に人生を生きられてきれたかとおもってきたが(相続財産があるので、経験したような経済的危機には直面しなくて良かったし、捨てられることもなかったはず)、そして傷修復のの最終ステージに到達しつつあるのかもしれない。時に父親67歳。母親60歳。